オーロヴィル その2 <スマトラ沖地震>

オーロヴィルの道はすべてこんな感じのダートロードです。
といっても、ここまで長閑な風景はあまり見ることはできません。

オーロヴィル その2 <スマトラ沖地震>
人々の足はモペット(スクーター)♪
私もレンタルして使っていました^^

オーロヴィル その2 <スマトラ沖地震>私が滞在していたVisitor's Center 近くの宿は多分村の西(?)の端。
Visitor's Center にはカフェもあり、よくここでランチをしました。

洋風建築で、カフェのメニューも洋風の物が多かったと記憶しています。
ショップもあり、オーロヴィルで作っているインセンスなどセンスの良い物が揃えられていました。オーロヴィル その2 <スマトラ沖地震>エサレンへ行った時に前泊&後泊させてもらったベイエリアの友達の家の近くのニューエイジ・ショップにこのインセンスを見つけたときはちょっと感動しました!)  

あまりVisitor Centorの様子がわかる写真がないのですが・・・
↑→はカフェの屋外エリアです。
   
徒歩圏内はこのVisitor Center くらいで、
中心にあるマトリマンディールや西の海岸近くのエリアにあるインターネット・カフェや
海岸沿いにあるクワイエッとというワークショップを行っているエリアなどに
日々スクーターで通っていました。


2004年12月26日もいつものように写真の道を通ってインターネット・カフェへ向かいました。
ネットカフェはどうもお休みのようなので宿へ引き返すと宿泊者が大騒ぎ!
例のドイツ人の夫人がドイツから持って来た携帯に
地元の友人から津波の被害を心配するメールが届いていたのです。
“BBCのニュースでは凄い映像が流れているけど、そっちは大丈夫なの!?”

私達の宿にはTVがありません。
村内の海岸沿いでは津波で床上浸水や死傷者が出ていても
少しはなれたところに滞在していた私達はまったく状況に気づかず
海外からのメールで数キロ先の状況を知ることとなりました。

いつもと異なることといえば、少し長めの停電くらい。
停電は日常茶飯事だったので、さほど気にもとめていませんでした。

その頃、日本ではインドの何処にいるかもわからない私の身を案じて
家族が外務省に連絡を取っていたそうです。

翌日、電気が戻ったネットカフェで津波の映像や近隣都市の被害状況を見てぞっとしました。
そして、家に電話を掛け無事を伝えました。

私からの連絡を受けた家族は、即、外務省に連絡し、私の無事を伝えたそうですが
混乱の中、情報が上手く伝わっていなかったらしく
大分経ってから在インド日本領事館から
“その後私と連絡が取れたか”を確認する電話が入ったそうです。

暫くはスマトラ沖地震による行方不明者にカウントされていたと思われますicon10


ということで、オーロヴィルでのお話はもう少し続きます・・・


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Posted by わこうれん at ◆2009年01月18日18:57インド
この記事へのコメント
大変な時に行っていたんですね。
ニュースでは本当に驚きましたよ・・
でも遠い場所での事って、どこか他人事に思えてしまう自分に
なんとなく罪悪感をおぼえました。

ところで
写真に写っているのは、わこうれんさんでしょうか?
そう?
Posted by ロロノア at 2009年01月19日 09:19
ロロノアさん

大きな意味では被災地に居たのですが、
遠くに居るよりも更に実感が湧きませんでした。
祈ることしかできない私でした。

あらら
ばれちゃいましたか?
まあ、あのサイズではよくわからないでしょうけど・・・
Posted by わこうれんわこうれん at 2009年01月19日 13:21
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